毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]
(kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)
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(c)新潮社 |
博士は64歳の数論が専門の元大学教師である。大学を辞めたのは、47歳の時に交通事故で脳にダメージを受け、新しいことが記憶できなくなってしまったからである。博士には、新しく経験したことが80分間しか記憶しておけないのだ。言い換えれば、毎日毎日、毎時間毎時間が「新しい経験」になってしまうということだ。そんな博士は阪神タイガースのファンで、特に江夏投手の大ファンであるが、博士が47歳のときの記憶のまま「記憶の更新」はいっさいなされないため、江夏がその後南海や広島に移籍したことも、その後引退したことも知らない。博士の知っている江夏は、あのノーヒットノーランを達成した直後の江夏なのだ。
こうした記憶障害のため、博士は義理の姉に経済的な援助を受けながら離れに一人暮らしをしている。この小説は、その博士の日常の世話をするために雇われた家政婦の視点から書かれたものだ。主たる登場人物は、私(家政婦)と博士、そして家政婦の10歳の息子だけである。この息子は「頭のてっぺんがルート記号のように平らだったから」という理由で、博士に「ルート」と呼ばれることになる。博士の頭の中は数学、特に数論という自然数や素数の不思議な性質についての数学で満たされていて、江夏の背番号28は「完全数(約数の和がその数そのものとなる)」であり、家政婦の電話番号5761455は、「1億までの間に存在する素数の個数」であるなんてことにしか興味がない。
いったいこれだけのことで、どんな小説が書けるというのだろうか。ところが「数論」と「記憶障害」と「阪神タイガース」を組み合わせて、読者を引き込ませてしまうような小説を見事に書いてみせた。それも長編小説で、しかもちょっと泣かせる話なのだ。主人公の家政婦の年回りを考えると、きっとこれは作者自身がどこかで体験したことをモデルに書いたに違いないと思ったのだが、大急ぎで同じ作者の他の小説をいくつか読んでみて、おそらくそうではないと思い直した。他の作品にも「こんな話は実際にモデルでもいないかぎりとうてい書けないな」と思うような話がたくさんあるのだ。左手を上に伸ばしたまま元に戻せなくなった水泳選手の話とか、両手がないために足で日常生活を不自由なくこなし、そのために肋骨が変形してしまう病気の寮管理人の話とか・・・そんな不思議な体験がそうそうできるはずがない。考えてみれば、いくら数学者だからといって、ちょうど80分で記憶がリセットされるような記憶障害もありえないことだ。ということは、これらはどれも作者の想像が作り出したことなのだ。こんなことができるのが、プロの小説家のすごいところなのだろう。(今、思い出したのだが、女性小説家の嘘つきぶりに感心したのは、松本侑子、新津きよみに続いて3度目だった。しかし、女性小説家にだけ見事な「嘘つき少女」という印象を持つのはなぜなんだろう。) (守 一雄)