毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]
(kaz-mori[at-mark]cc.tuat.ac.jp)
http://www.avis.ne.jp/~uriuri/kaz/dohc/dohchp-j.html
「愛読書ってある?」と、妻に聞かれて、ふと考えた。妻の勤める専門学校で生徒に記入させる書類の中に「愛読書」という欄があるのだが、自分にはそんな本はないというのだ。「愛読書って、好きな本で何度も繰り返して読むような本ってことでしょ?私、同じ本を何度も読んだりしないもの」というわけだ。確かに、妻も私も読書好きで本をたくさん読むが、基本的に同じ本を二度繰り返して読むことはない。ときどき、昔読んだ本を間違えて買ってしまい、読み出してから、一度読んだことに気づくことがあるが、その場合は読むのを止めてしまうのが普通だ。
「私の一生を変えた本」であり、「大学4年間で毎年100冊ずつ計400冊読むよりも、この本1冊を読むべきである」として、このDOHC月報でも何度も繰り返し紹介してきたドーキンス『利己的な遺伝子』(紀伊国屋書店)にしても、そう何度も読み直したわけではない。授業で使う本や、学生の課題図書、データ解析のためのハンドブックのように、仕事の関係上、何度も読む本もあるが、それらは「愛読書」と呼ぶに相応しいとは思えない。
考えるに、本が貴重品だった昔は、今のように簡単に本が手に入らず、気に入った同じ本を繰り返し読むようなことが普通だったのかもしれない。大学では本は「備品」とされ、一度図書館に収納されると何年経っても原則として廃棄されないことになっているが、そうした制度も本が貴重品だった昔の名残りなのだろう。この規定のせいで、役割を終えた本がいつまでも書架を占め、大学図書館は慢性的にスペース不足に悩んでいる。(ま、この問題は近い将来、電子化によって解決され、大学図書館そのものが不要になってしまうだろう。)
それでも、歌や映画などでは、同じものを何度も繰り返して聞いたり見たりするものがある。繰り返し食べたくなる料理とか、好きなお菓子とかもある。本だって、好きになった本を繰り返し読んだとしても不思議ではない。もしかすると、どんなに気に入った本でも二度は読まないという妻や私の方が、ヘンなのかもしれない。今も「愛読書」という言葉が残っているのも、そうした本の読み方があることを示しているのだろう。
そこで、私も何度も繰り返し読んでいるような本がないかどうか、もう一度よく考えてみた。すると、1冊(厳密には4冊組なので4冊だが)だけ、何度も読んだ本が見つかった。この本はマンガなので、厳密には本ではないのだが、おそらく百回以上繰り返して読んだことがある。これからも何度も読み返すだろうとも思う。それは、『コジコジ』である。うーむ、私の「愛読書」は『コジコジ』だったのだ。
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(c)集英社 |
アマゾンで検索をすると、初出は1993年らしい。私の「愛読書」になっているのは、1995年頃のソニー・マガジンズコミックス版である。上には、著者にちゃんと印税が入る新刊書を書いておいた。4巻まであるが、第1巻だけでもきっとあなたの「愛読書」になるはずだ。マンガなのに、人生を考える哲学書のようであり、読むたびに元気になれる本だから。(もっとも、『コジコジ』を百回以上も繰り返し読んだりするのは、この本が我が家のトイレに置いてあるからなのかもしれないが・・・)(守 一雄)