毎月1日発行 発行責任者 守一雄
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そんなベクトルと行列が、大学で学んだ心理学の中に再び登場してきた。多変量解析の計算である。ところが、多変量解析では「被験者ごとの回答を数値化した一連の数値(例:エクセルの1行分)」や「質問項目ごとの各被験者の回答パタン」が「ベクトル」と呼ばれていた。「あれ?ベクトルって“大きさと向きをもつ量”だったはずでは?」と思った。自分なりに「そうか要素の数と順番が決まっている数値のワンセット」をベクトルと言うんだなと理解した。ただ、学部時代にはまだエクセルなんてなかった(というか、パソコンもなかった)から、とにかく面倒くさかったという感想しかもたなかった。だから、多変量解析が必須らしい質問紙調査を使う研究も嫌いだった。
本書では、導入部の短い第1章に続く、第2章と第3章でベクトルと行列の基礎が易しく説明されている。この2つの章だけで、本書全体の1/3に及ぶ。それくらいベクトルと行列が重要だということだ。(高校でベクトルと行列を習わなかった人は、ここで高校時代の私と同じ感想を持つだろう。)
時代が進み、私の高校時代にはただただ面倒くさかった行列の計算がコンピュータの活用によって面倒くさいものではなくなった。さらには、ビデオゲームの画面制御用に開発されたはずのGPU(Graphics Processing Unit)を使えば、「コンピュータさん」にとっても「要素ごとに掛け算と足し算を繰り返す」という退屈な作業をしなくても、「すべての要素について同時並行的に計算できてしまう」ようになった。
ベクトルや行列の計算が並行処理で瞬時にできるようになったことは、「種々の概念をベクトルで分散表現する」ことを可能にした。従来の人工知能ではりんごを「りんご」として表現していたが、生成AIではりんごを「赤い、青い、丸い、甘い、酸っぱい、美味しい、長野産、青森産、りんご、ringo、apple、ジャム、パイ、ジュース…」のように多重な概念の複合体として表現しているのである。その結果、従来のAIでは、単語が「一致するかどうか」の判定は容易でも、類似度を調べることが難しかったが、ベクトル化された概念なら内積の計算によって自動的に類似度が計算できるのだ。しかも、このベクトル化は単語だけでなく、文章でも、画像でも、音楽でもできるので、どんなことでも類似度が計算できるようになった。
本書には出版社のサイトからダウンロードできるPythonのサンプルプログラムもついていて、実習しながら原理を学ぶこともできる。ダウンロードはしてみたが、面倒くさいのでちょっと動かしただけでやめてしまった。実は、内容も理解できなかったところも多い。それでも、ベクトルと行列が本質なのだということが分かっただけでも十分に本書を読んだ価値があったと思う。ベクトルや行列を考案した数学者は、こんな活用が将来になされることを想定していたわけではないだろう。数学の素晴らしさも再認識した。(守 一雄)